「専務のツブヤキ」
~歴史から見るウクライナ問題、ヤバい経済制裁、NATO拡大の是非~

2022年3月15日

SAJ 専務理事 笹岡 賢二郎

 前回から引き続き今回も歴史に絡んだテーマでツブヤキたいと思います。テーマはウクライナ問題です。というのは、3月の理事会でウクライナ問題が議論になったからです。

 千年以上歴史をさかのぼりますが、 ロシアは国家の起源をウクライナと共通 であると考えますが、 ウクライナはモスクワ(ロシア)とは別 と考えており、そもそも 両者の歴史観には大きな違い があります※1。ただ、最近のウクライナとロシアの関係悪化は 2014年のクリミア半島のロシア併合 からです。歴史を見ると、クリミア半島の支配権は外敵の侵入でコロコロ変わってきました。中世からモンゴル帝国やオスマントルコ帝国の拡大などで アジアのタタール系の住民が住むようになった のですが、その後 シアが不凍港である黒海に艦隊を持ちたいため南下政策を続けてロシア系住民も移住してくる ようになりました。

 さらに問題を複雑にしたのは ソ連、フルシチョフの時代、1954年に戦略的要地であるクリミア半島が何故かロシアからウクライナに移譲 されたからです。私なりにその理由をネット等で調べると、当時、ソ連では共和国の独立が想定されておらず、地方の自治区の様な存在だったため、どうも地域振興策の一環で行われたようです。経緯は、クリミア半島の先住民のタタール系の住民が第2次世界大戦中にドイツに協力したとされ、戦後、遠方に強制移住させられました。その代わりにロシア系住民が移住してきたのですが、上手くいかず、 近くで繫栄していたウクライナ共和国に面倒を見させよう という事になったのが真相のようです。

 しかしながら、想定外のソ連の崩壊、ウクライナの独立でクリミア半島がロシアから離れてしまいました。親ロシア政権の間は問題なかったのですが、親欧米政権が誕生すると話は別です。しかも、NATOに加盟するとなると 第3次世界大戦の寸前までになったキューバ危機の逆バージョン が起こったわけです。こうなると私は相当危ういと思っています。そこで今後の落し所はどこでしょうか?欧米諸国は、第3次世界大戦にならないように軍事介入はしない、 経済制裁に止めると言っていますが、私的にはその考えも非常にヤバい と思います。そもそも 太平洋戦争ですが、その発端は、米国から日本への石油の禁輸、経済制裁 だったからです。当時の日本政府も米国と戦争しても勝てないことは理屈では分かっていても、国際的には圧倒的に不利と思われていた日清、日露戦争に勝利を収めた成功体験があったせいでしょうか、真珠湾攻撃をしてしまいました。 為政者が常に理性的な判断をするとは限らない と思うからです。 プーチンも然り ではないでしょうか。

 最後に、素朴な疑問です。確かNATOは冷戦を前提(共産主義の防波堤?)として創設され、ソ連崩壊でその役割はある意味終わったようにも思えます。ですから、米国もキューバ危機を教訓として、もし 戦終結後はNATOの拡大をせずロシアを刺激し続けなければ、今回のウクライナ問題は起こらなかったかもしれません 。多分、NATOがその後も拡大した理由は、ロシアがソ連の核兵器を全て引き継いだので安全保障上の理由だと推察しますが、(以前、原子力の国際協力に関わっていたのですが、) 核不拡散条約(NPT)※2 という核に関する安全保障上の国際的な枠組みもあります。

 いずれにしろ、ここまで事態がエスカレートしてしまうと、やはりソ連崩壊後のNATOの拡大はチャラにするとでも約束でもしない限りロシアは納得しない気がします。その意味でこれはチキンレースと思うのですが、 私的には勿論ロシアが早く経済制裁に音を上げてくれることを切に願う 次第です。

※1:ロシア(≒ウラジーミル・プーチン大統領)は、988年にウクライナ・ロシア共通の祖先(ルーシー)であるウラジーミル1世が洗礼を受けてキリスト教化の端緒を開いたのがクリミア半島の南端の都市ケルソネソス(当時)であったとして、クリミアが「ロシア固有の領土」であることはもちろん、これからすると ウクライナの併合も当然と考えている かもしれません。一方、モスクワに関するはじめての記述は1147年であるとし、 ウクライナはロシアの起源であるとは認めていません

※2:核兵器国である 米、露、中、英、仏(国連安全保障理事国)は核軍縮を進めるから他国には核を持たせない、その代わりIAEA(国際原子力機関)の査察を前提に原子力平和利用(原発など)の協力を促進 するという内容の条約。締約国数は191か国・地域(北朝鮮を含む。2020年8月現在。インド、パキスタン、イスラエル及び南スーダンは未加入)。

筆者略歴

笹岡 賢二郎(ささおか けんじろう)

1961年生まれ、1983年に通商産業省(現経済産業省)入省、機械情報産業局電気機器課、科学技術庁、資源エネルギー庁、立地公害局、防衛庁、工業技術院、基盤技術研究促進センター、JETROクアラルンプールセンター、文部科学省、四国経済産業局などの勤務を経て、2005年7月より新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)、2007年7月より九州経済産業局地域経済部長、2009年7月より中小企業基盤整備機構の業務統括役兼総務部長、2011年7月独立行政法人情報処理推進機構の参与兼セキュリティセンター長などを経て、2013年7月から東京工科大学にてコンピュータサイエンス学部 コンピュータサイエンス学科教授、片柳研究所所長、工学部 電気電子工学科 教授兼コーオプセンター長。2016年6月に一般社団法人コンピュータソフトウェア協会(現:一般社団法人ソフトウェア協会)専務理事に就任。

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